13年前のSHIMANO Deore LX 7速ディレーラーが修理できない。

2014/02/16

この記事はBOOKMARKS『60歳からの青春』2013年12月9日の記事です。

ここのところ、ちょっと変速時に違和感(切り替えが遅れる)があったので、ディレーラーを調べてみた。そうしたら、ディレーラー・ガイドプーリーがグラグラしている。ディレーラーのアームがきっちり動いてもプーリーがガタついていたら、チェーンをきっちりとシフトできないんだと思う。ざっと購入からの歴史を紐解くと、

  • 1996年1月に、GTマウンテンバイクを購入した。
  • 1999年2月に、トップギヤーでのチェーン跳びが激しくなり、ギヤーとチェーンを交換。約12,500km走行。
  • 2000年3月に、ディレーラーのリンクにガタが出てきて、変速がうまく行かなくなり、約15,800km走行でDeore LX 7速に交換。。
  • 2004年(27,000km走行)~2012年の間、訳あって自転車冬眠。
昨年自転車を再開してから6,400kmぐらいは走ってるので、初めに付いていたディレーラー(型式不明)よりははるかに長持ちして、まだそんなにリンクにガタも発生していない。でも、ディレーラープーリーは結構ガタがあって、もう寿命が来ているので交換しようと思った。豊中の有名なスポーツバイク店へ行って『7速のディレーラープーリーありますか?』と聞いたら、『エッ、まだ7速に乗ってるんですか・・・? 今は9速・10速が普通で、11速も出てますよ・・・』 人が機嫌よく乗っているのに『まだ7速・・・』は無いだろう。でも親切に店の中の引き出しを家捜ししてくれたけど、結局見つからなかった。その他中古パーツ屋だとかあちこち探してみたけれど埒が明かないので、シマノに電話をしてみた。電話口の人は本当に申し訳なさそうに、『・・・もう入手できません・・・』。『エェ、お宅のホームページには、(シマノ商品の補修パーツについて:シマノではほとんどの商品につきまして、ブレーキシュー・ワイヤー・替えギヤ等の消耗パーツはもとより、末永くご愛用頂くために、ネジ・キャップ・バネ・ワッシャー等の小物まで補修パーツをご用意・供給できる体制を取っております。ご購入につきましては、最寄りの自転車販売店までご相談下さい。)と書いてあるじゃない・・・』と、つい嫌味を言ってみた。これ以上責めても彼の責任ではなので、シマノも諦めた。メーカーとしての責任も、法律でどこかに決まっているんでしょう。きっと13年前のディレーラープーリーは、シマノの言う『ほとんどの商品』には入っていないんでしょう。



もう少しねばってみる事にした。シマノスモールパーツで、こんなパーツの資料を見つけた。絵を見たら歯数もT11だし、この⑩のパーツが絶対そうだと思った。もし間違っても、金額的に800円程度だからダメもとで注文しようと思ってクリックしたら在庫状態『完売』。やっぱりだめか・・・。

さらに粘ってみた。銀輪亭の出口さんが、ヤマハの電動アシスト自転車のテンションプーリーを貸してくれた。『サイズが合えは使ってみて・・・』、歯数もT11でなんとなく合いそうなので、自転車のプーリを外してノギスで寸法を測ってみた。残念、軸径はぴったしだけれど、ブッシュの幅が3mm近く広すぎる。ブッシュは硬いので、削るのも困難であきらめた。

安いものを大量生産して、古いものはじゃんじゃん捨てるのも時流だから仕方がないけれど、使っているうちに摩耗する部品ぐらいは何とかしてほしいなあ・・・。こんなちっこい部品が寿命になって、ディレーラー全体が使えないなんて可哀そうだと思う。


少しでも延命できればと、ワイヤーの調整やディレーラーの平行アームと関節の動きを滑らかにするために、洗浄と給脂をしっかりとしてみた。心もち、良くなったかな?どこまで持つか分からないけれど、本当に切り替えに支障が出るまで、もう少し使ってやろうか!

自転車で『右側通行』をしている皆様へ

2014/02/16

この記事は、BOOKMARKS『60歳からの青春』2013年12月7日の記事です。

趣味と健康の為、毎月400km以上自転車で走っている。自転車で走ってて一番怖いのが、右側を走って(逆走)くる自転車。その次に怖いのが、ヒヤッとするぐらいぎりぎりを追い抜く自動車だ。



自転車で『右側通行』をしている皆様、自転車は道路交通法で『左側通行』ってことをご存知ですか?もう少し詳しく言えば、自転車は軽車両(自動車と同じ車両の仲間)だから、車道を走らないといけません。歩道で自転車の標識があるところは、特別に『自転車も走ってよいですよ』と言う意味です。自転車の標識があるからと言って、ベルを鳴らし我が物顔で走ってはいけません。歩道で歩行者とぶつかって怪我をさせたら、大変なことになりますよ。歩道はあくまでも、歩行者の為の道路です。

もう一つ、路側帯のある道路では、自転車は右側でも左側でも走行できましたが、『改正道路交通法』が2013年6月14日に公布され、12月1日から路側帯も左側通行のみとなりました。

自転車で『右側通行』をしている皆様、なぜあなたは右側を走るのですか?おそらく車が走っている道路で右側を走ると、前から迫ってくる自動車が良く見えるし、相手もよく見えるだろうと思っていませんか?『相手からもよく見えるだろう』と言う思いは、自分にとって都合の良い、相手の善意に期待している考えです。自動車の運転手さんは、そんなにあなたを見てはいません。日本人らしく、相手を安易に信用してはいけません。『向こうが気づいて、避けてくれるだろう』なんて、とんでもない思い違いです。あなたの安心感・信頼感が、一番危険なのです。『自分の身は、自分で守る』のが、自転車で交通事故に合わない鉄則です。

自転車で『右側通行』をしている皆様、何故自転車は左側通行かご存知ですか?そんなこと無いよ、どっちを走っても良いはずだ・・・と思っている方は、高知県警の『キッズプラザ 土佐の高知のしばてん君の交通安全教室 自転車の乗り方編』をご覧ください。2番の箱をクリックです。私がスポーツ少年団の指導者をしていた頃、団員の自転車安全教室の教材に使ってたホームページです。とってもわかりやすく紹介されていますので、ぜひご覧くださいませ。

自転車は車両の仲間だから、車と同じく左側通行しなさい・・・と杓子定規に言っているのではありません。それなりにちゃんとした科学的な理由があります。

理由その1:

自動車の運転手さんが前を走っている自転車を発見した時、発見してから自転車とすれ違う又は追い越すまでの時間を考えてください。左側通行で同じ方向に走っていたら、双方の速度の差で近づきます。車が時速50kmで自転車が時速15kmだったら、引き算をして時速35kmで接近して追い抜きます。次に自転車が逆走して正面から走ってきた場合、双方の速度の差ではなく合計で接近して通過します。すなわち時速65kmで接近してしまいます。この時速35kmで接近するのか時速65kmで接近するかで、自転車と自動車が通過又は追い越すまでの時間は、右側を逆走した場合1/2ぐらいになります。と言うことは、あっという間に近づくんです。運転手さんがよそ見をしていたら、気が付いたら目の前に自転車がいた・・・、てなことになります。ね!、危ないでしょ!

理由その2:

不幸にして。自転車と自動車がぶつかった時のことを考えてみましょう。ぶつかった時の力を計算するのはちょっと複雑で、ぶつかってからグシャッと潰れて完全に止まるまでの時間が分からないと計算できません。硬い者同士がぶつかったら時間は短くなって力は大きくなるし、柔らかい者同士だったら時間は長くなって力は小さくなります。但し、長くなると言っても1秒以下での話です。時速65kmでぶつかった場合と時速35kmでぶつかった場合は、力の差は2倍程度か・・・とは思わないでください。3~4倍になります。骨折で済むか天国に行くかぐらいの差になります。

これまでを読まれて、『そうだったのか・・・』と思われた方は、次から左側通行をしてくださいね。

自動車の立場から考えると、前から走ってくる(逆走)自転車は自動車の運転手の意志とは無関係に、『すれ違わなければならない・・・』ということです。左側を走ってくれれば、追い越すタイミングは運転手が決める事が出来るんです。抜くのが難しければ、自転車のちょっと後ろを自転車と同じスピードで走って、抜ける所で十分間隔を取って安全に追い越せるんです。そういう状況で、自転車に乗っている人は『自動車の邪魔をして申し訳ないなあ・・・』てなことは、まったく考える必要はないのです。左側を走ってくれる方が、自動車の運転手から見てどれだけ助かるかしれません。車両の仲間なんだから、堂々と車道の左側を走ってください。

もう一つだけ、お節介をやかせてもらいます。日本人は農耕民族で、穏やかな性格をしています。相手の善意を、たやすく受け入れてしまいます。相手の善意を、当てにしてしまいます。とっても良いことなんですが、過ぎたるは及ばざるがごとし。



もし、日本の感覚で北京や上海の街中を自転車で走ったら、まず数分で車にひかれていると思います。中国では車の運転手は自転車乗りを見下しているし、自転車乗りは車の運転手を『こいつは、俺を轢こうとしている・・・』と疑ってかかってます。そこに緊張感が生まれます。日本人にはこの緊張感が無い。自転車と自動車の交通事故を減らすためにも、こういうところだけは少し中国人を見習ったほうが良いのかもしれません。但し、路上で罵声を張り上げて喧嘩はいけませんよ!

さあ自転車のみなさん、これから堂々と左側を走りましょう。願わくばヘルメットをかぶってね!もしかすると、貴方の命を守ってくれるかもしれませんよ。

自転車のブレーキの鳴きとの戦い(戦は終わった編)

2014/02/16

この記事は、BOOKMARKS『60歳からの青春』2013年10月18日の記事です。

また、この記事は、9月27日『自転車のブレーキの鳴きとの戦い(ブレーキ交換編)』の、続編です。自転車にあんまり興味のない方は、最後のパラグラフだけでも読めば、あぁそんなものなんだ・・・、と全てが理解できます。

昨年秋に、リムを交換してから悩まされてきたブレーキの鳴き問題、カンチブレーキからVブレーキに交換してからさてどうなったか・・・・。『完璧に終息宣言』です。ブレーキを交換してから朝の箕面滝道散輪で120km、昨日の京北の150km日帰りツアーを終えた。飛沫の上がる濡れた道を走っても全く鳴かず、見事に勝利した。はじめはブレーキを交換してからいろいろとブレーキシューを変えてみようと思っていたのに、何のことは無い、XTにもともと付いていたブレーキシューで、見事に鳴きは止まった。銀輪亭の出口さん、ありがとうございます。相談してみてよっかった。



このVブレーキは素晴らしい。今まで自転車のブレーキ性能って、こんなもんだろうぐらいにしか思っていなかった。でも、このブレーキにしてから『ブレーキって、こんなにも効くんだ』と思った。



この写真には写っていないけれど、前側ブレーキにはパワーモジュレーターが付いている。この装置、一言でいうとレバーの効き具合を鈍くするんだけれど、効き始めから最大の制動力までの、レバーの移動量が大きい。その分微調整ができるので、とっても使いやすい。以前のブレーキだと、下りのコーナーに入るかなり手前から制動しないと安全な速度に落ちなかったけれど、Vブレーキはカーブのちょっと手前からで、十分間に合う。自転車が重たい(約20㎏)せいもあって、タイヤはまずロックしない。



後のブレーキには、パワーモジュレーターは付いていないけれど、レバーを握ると前輪と感覚がそれほど変わらない。レバーを握ると、台座の付いているフレームが僅かに外に膨らむし、Vのレバーも若干撓んでいる。ワイヤーも前側に比べると何倍も長いので、これらの影響がパワーモジュレーターの働きをしているように思う。後輪のブレーキも、すごく気持ちよく効く。カンチブレーキでは、絶対にこんなことは無かった。カンチレバーの時は、おそらく80%は前輪のブレーキに頼ってたような気がする。

しかし、後輪は締めすぎると簡単にタイヤがロックしてしまう。前輪と後輪をうまく使えば、前輪のブレーキの負担も小さくなって、バランスよくスピードコントロールができそうだ。

もう一つよかったことは、カンチブレーキより小さな握力で同じかそれ以上の制動力が得られること。昨日の京北の帰りに思ったけれど、午後に入り距離が100kmも超えると、指先はしびれてくるし握力が下がってしまう。そんな時小さな力で制動力が得られるVブレーキは、もう最高のブレーキだ。



最後に、昨日の箕面からの帰りの下りで、前輪から突然ブレーキ時にアルミが削れる音がした。これはやばいと思って点検しようと思ったけれど、あと5kmで我が家なんでそのまま駆け降りた。そのうち音がしなくなって、今朝ブレーキを点検してみてびっくり。ブレーキシューの縦の4つ目のスリットに、何か挟まっている。近くにはゴムとアルミの粉が積もっている。



ほじりだしたのが、数字の9の上に写っている小石というか大きな砂粒。こんなものが、スリットに入り込むなんて、なんという希運だろうか。入れようと思っても、なかなか入りそうにない。まあ、リムの損傷も僅かで、まずは良かった良かった。

 さて、最後の最後に本題に入ります。何故ブレーキの鳴きが止まったんだろう、何故鳴は発生するんだろう。『結局わかりませんでした!』と言うのが結論なんだけれど、まあ一言でいうと『リムとブレーキシューの相性』みたいなものかな?ほらあなたの近くの夫婦でもいるでしょ、なんであんなブ男に可愛い子が嫁さんになるんだょ・・・・!よそから見たら、もしかして我が家もそんなふうに見られているのかもしれません。但し、『可愛い子』っていうところは、ちょっとこっちへ置いときます。

以上、戦は終わった編でした。

自転車のブレーキの鳴きとの戦い(ブレーキ交換編)

2014/02/16

この記事は、BOOKMARKS『60歳からの青春』2013年9月27日の記事です。

ブレーキの鳴きを止めるのに苦戦しているサイクリストは多いと思う。事の起こりは、昨年秋に自転車のリムが摩耗して割れてきて、ARAYAVP-20に交換したことに始まった。交換してしばらくして、やけにブレーキ時に悲鳴を上げるようになった。常套手段のリムとブレーキシューに角度をつけても、一向に改善しない。冬に入り、ますます悲鳴は大きくなってきた。リムを交換した石橋の自転車屋に出向き症状を訴えたら、ブレーキシューが古くなると硬くなって音が出る事があるという。いつもはブレーキシューの交換ぐらい自分でやるのだけれど、アドバイスをしてもらったお礼に生まれて初めてお金を払ってブレーキシューを交換してもらった。ところが何のことは無い、数日後からまた悲鳴が始まった。



ご存知これが、カンチレバーブレーキ。このお店には見切りをつけて、シマノやアラヤに色々と問い合わせてみたけど、通り一遍等の事しか回答が得られない。カンチレバーブレーキは、ブレーキシューも極端に種類が少ない。M65かM50かの2種類で、長さが違うだけだ。M65からM50にすると鳴きは若干改善されたけれど、滝のミストがリムに着くだけでも悲鳴を上げる。そうこうしているうちに春が訪れ、気温の影響か鳴きが収まってきた。

さてさてこのまま秋を迎え気温が低下すると、また鳴きが発生する。そこで、以前にJACCの池本さんから紹介された豊中の自転車屋さん『銀輪亭』に行って相談をしてみた。一見さんなのに、途中でパンク修理のお客さんが来たりおなじみさんが来られたり忙しい中、真剣に相談に乗ってくれた。一般的なことも話されたけれど、話の中で『このARAYA VP20は廉価版だから、アルミが柔らかいのかもしれない・・・』と言われた。帰ってからNETで調べてみたら、以前使用していて今も後輪で使用しているARAYA TM840Fと鳴くVP-20は、2倍近く値段が違う。お店では相談の結果と言うより私の主張を通して、ブレーキをカンチブレーキからVブレーキに交換してみることにした。Vブレーキは調整が容易だし、海外製品も含めて、色々なブレーキシューが用意されている。

さて、頼んだ部品の到着を待ちかねて、Vブレーキを装着した。勇んでカンチブレーキを外して、Vブレーキを取り付けてみた。



『あれれ??ブレーキの台座のネジの部分がへこんでる・・・』これは大変だ、シマノのカンチブレーキとVブレーキは互換性がないのか?もう夕方も近いし明日の早朝箕面滝道散輪もあるので、今日のところはとりあえずカンチブレーキに戻した。

困った時のインターネット検索。ありました、どんぴしゃりのブログが・・・・。写真も私のよりきれいに映っているので、興味のある方は是非そちらをご覧ください。結論から言うと、互換性があったのです。



前輪のVブレーキです。


後輪のVブレーキです。後輪は邪魔者も無く、あっという間に取り付け完了。

さて次に、ブレーキワイヤーの交換を始めた。理科の得意な人はブレーキを見たらわかるんだけれど、Vブレーキは非常に効率が高いので、カンチブレーキのブレーキレバーそのままだとブレーキが強すぎてとっても危険になる。そこでブレーキレバーのワイヤーの取り付け位置を変更しなくてはならない。そこでまた問題が発生。



ワイヤーの取り付け位置を変更するために写真中央の赤いパーツを外さないといけないけれど、外し方が分からない。

ブレーキレバーの裏側を見ても、外し方が分からない。赤いパーツの中央に何か小さなものが見えるので、虫眼鏡を持ってきた。見えました、+ネジの頭が・・・。暗いガレージで60過ぎのおっさんには、こんなちっこいネジは見えないなあ・・・。このネジを外すと、赤いパーツは簡単に取れた。

 

前輪には、パワーモジュレーターも付けました



カンチブレーキさん、17年間OVER 30,000kmに亘りありがとうございました。良く頑張ってくれましたが、おそらくもうあなたの出番はないと思います。ゆっくりとお休みください。

とりあえず、ブレーキシューはリムにべた当たりで取り付けた。家の前でちょっとテスト走行してみたけど、鳴きも出ずなんとなく調子がよさそうですよ・・・・。鳴きが発生するようだったらまたその時に角度をつけたり、ブレーキシューの材質を変更してみよう。さあ、明朝の箕面滝道散輪の下りがとっても楽しみです。ブレーキの鳴き問題とブレーキ性能・パワーモジュレーターの効果は、又後日談で紹介しましょう。

厳冬期の『六甲山』自転車縦走・・・、寒かっただけのお話し。

2014/02/06

2月5日偏西風の蛇行とやらで、日本列島に第一級の寒波がやってきた。北海道ではマイナス30℃近くまで下がったとか・・・。立派な仕事もしていないのになんだかんだと用事が詰まってて、まあ今日あたり出かけようかと、いつも通りまだ陽も昇らない朝の6時に真っ暗な自宅を飛び出した。西へ向かうには、六甲の裏を通るか芦屋・神戸を通るかだけれど、そうだ六甲山を越えてみようと思い立った。



豊中から国道176号線を小浜まで行って南下、宝塚市役所の手前の橋から武庫川の川面を写してみた。南東の方角だから、朝日を背景にしているのは生駒の山並みになるのかな?



まだ7時前で、阪急電車もまだそれほど込み合っていない、阪急逆瀬川駅付近です。さてここから逆瀬川を遡上して、六甲山頂に向かいます。



逆瀬川に架かるポンコツの橋の上から、上流を見上げたところです。この左手奥には、今年の冬戸隠の山小屋でお世話になった関西学園大学のキャンパスがある。



住宅街を抜けたところに、気温を示す電光掲示板があった。3枚ほど写したのに、マイナス4℃が写らない。じっと止まっていると、寒くて寒くて何時までも電光掲示板に付き合っていられないので先を急いだ。



谷筋の道は徐々に厳しくなって、ギヤーを一つまた一つと低速に下げていって、ふと見上げたら山の上の木々が雪で白くなっている。この時はまだ『綺麗やなぁ・・、この先もっと綺麗になったらいいのになあ・・・・』と呑気に構えてた。



ほら、陽もさして、青空に白い木々の枝がとっても美しいでしょ。ここを左に折れると、芦屋に下りてしまう。目指すは六甲山、あと7kmと書いてある。



せっかく止まったから、水分補給をしようとキャップを取って飲もうとしたら、なんだかペットボトルがカサカサ音がして、シャーベットが口の中に流れ込んできた。ボトルの内側には氷が付き、お茶の中は融けたカキ氷の様にもやもやしている。やっぱりマイナス4℃だと思った。



『ほおら、だんだんきれいな景色になってきたで・・・』と、凍結防止剤の塩カルのビーズをプチプチ踏んで走ってても、まだこの先の雪まみれの自分を想像すらしていなかった。



なんだか路面が怪しくなってきたなぁ~と思っていたら、ありゃこれはちょっと不味い状況になって来たなあ・・・。ここはちょうど鉢巻山トンネルの手前だ。六甲山頂の一軒茶屋は、もうちょっとのはず。



無事到着です。顔が疲れてる、いや歳のせいか・・・?ヒルクライムするのに、ツーリングバッグはいらんだろうと誰かに言われそうだけれど、何しろこの愛馬は農耕馬と言われるだけあって強烈に重い。

ロードバイクの人は逆瀬川からここまでを一つのコースにしているようで、色々なブログを見ると記録が載っている。今回は『cento1ポチポタ日記』さんのブログを参考にさせてもらった。ありがとうございます。ロードバイクの人は、このコースを60分ぐらいで駆け上がるようだ。暗峠でも思ったけれど、ロードの人ってどんなエンジンを脚に備えてるんだろうか?一度解剖してみたい。

ちなみに私の記録:

逆瀬川→六甲山頂:11.7km(自転車のメーターの記録)

所要時間:1時間37分(自転車が重いだとか、写真を写していたとか、還暦を過ぎているんだからとか言い訳をしても、やっぱり遅いものは遅いだろう!ハイ分かってます、今後精進します。)

平均速度:たぶん時速7kmそこそこで、駆け足ぐらいか。自宅から逆瀬川まで暗がりをAve21.7km/hで走ってきて、山頂に付いたらAve13.2km/hまで落ちてた。

その時は記録なんて考えてる余裕は無く、じっとしていると凍死しそうなので先を急ぐことにした。



まだまだ、こんな道が続きます。ブレーキをかけない限り滑ったりはしないので、まあまあ何とか走れる。26×2.0スリックタイヤのお蔭かな・・・。ブロックタイヤなら、もっと軽快に走れるのかな?



ようやく雪道地獄を過ぎた。ここで左折をすれば三宮に下りられる。下界は暖かいかもしれないという誘惑を振り切って、さらに西に進むことにした。



このコース、あんまり景色が良くないなぁ、大阪湾の方向かな・・・。人影の無い植物園や六甲山ホテルを過ぎて、やはり人影の無い六甲山牧場で小休止。閉園中でも係りの人が、ゴミを運んでた。『寒いですね・・』と声をかけたら、どっから来たん?と聞くので逆瀬川からと答えたら、『ようこんな日に上ってくるなあ・・・』と、ちょっと呆れ顔をされた。その気持ちは分からんでもない、自分でもそう思う。



六甲山牧場のところの、道路標識が目に入った。『摩耶山』か・・・、ちょっと気持ちが動いた。ここまで来たんだから、行ってみるか!ちょっと軽快に下ってちょっと頑張って登ったら、摩耶山の頂上に到着した。開けていて、なかなか気持ちの良い道だった。



いやぁ頑張ってきてよかった。抜群の景色だ。神戸の街並みとポートアイランド、その先に神戸空港が見える。



もう少し西にカメラを向けると、真赤な神戸ポートタワーが見える。残念ながらこのカメラと私の腕では、ポートタワーは判別不能の様だ。



カメラを東に向けると、大阪湾が雲間からさす陽の光で輝いていた。島は六甲アイランドかな?大阪湾が広がり、対岸まで何とか見える。



私があんまり綺麗だ綺麗だとはしゃいでいたら、山麓に住むというおじさんが『最近はあんまり綺麗に見えない、空気が汚れとるかもしれんなぁ。』 と言ってた。見通しの効く日は、関西空港や和歌山・徳島あたりまで綺麗に見えるそうだ。明石大橋は尾根筋が邪魔をして見えないらしい。このおじさん曰く、『眺めは六甲山頂からより、摩耶山からの眺めの方が絶対に良いょ。』確かにそうかもしれないなぁ・・・。あいにく摩耶山ロープウエイは、冬季間は客がいないのでお休みだとか。だからこんな広い展望台にこのおじさんと二人っきりなんだ。このおじさん、山麓の自宅から歩いて3時間でこの展望台に着くらしい。毎日登ってくる人もいるとか・・・。色々と解説していただいたので、もののついでにシャッターを押してもらった。



だいぶ下ってきて、もう雪道の心配はなさそうだ。国道428号線小部峠まで、あと1km。



小部峠に到着した。峠と言っても、後は山麓まで一気に下ってゆく。この国道428号線は、やたらと道が狭く車が多い。ちょっと広いところで止まって後につっかえた車をやり過ごしたりしたけれど、なんだか体がスムースに動かず思ったラインに乗れない。強烈な寒さで肩がバンバンになって、上半身の動きがぎこちない。追走してくる自動車の運転手さんは、随分心配してたかもしれない。



異人館のあたりを通って東に向かったけれど、異人館めぐりの観光客は全く無し。一方通行を逆走しているので、対向自動車に邪魔にならないように走った。東灘あたりからまた天気が怪しくなってきて、芦屋・西宮と雪に降られた。まあここまでくれば勝手知ったる西宮、凍死することは無い。

山手幹線を通って、武庫川を渡った。ここらあたりからは、もう9年間自転車通勤で通った通いなれたルートだ。一気に気が弛んで土手に上がってみたら、数時間前に遊んでいた六甲山が良く見える。芝生に寝っころがると、ほんのり背中が温かく日差しが心地よい。



さあ、後16kmぐらいか・・・、お腹もすいたしお家に帰りましょう。12月の清水寺の記事に続き、長いお話になりました。最後までお付き合いいただき、感謝いたします。最後は、何時もの自転車の記録と感想文です。

自転車の記録

走行距離:90.4km(いつもの2/3ぐらいしか走ってないなぁ、まあヒルクライムと厳冬期ということで、良しとしましょう。)

平均速度:17.8km/h(言い訳はしません、私の実力です。)

最高速度:50.5km/h(どこかな?やっぱり小部峠からの下りかな?)

走行時間:5時間5分(Auto. ちょっと休みすぎじゃあない?)

水分補給:500mlでお釣りが来た。

良かったこと:厳冬期の六甲山は自転車にとって厳しいけれど、この時しか見られない景色に触れられた。

残念だったこと:平日とはいえ、自転車乗りに誰一人出会わなかった。そうだよな、よほど物好きでない限り、こんな日にわざわざ雪の六甲を走ろうとは思わないよ。(註釈:私は物好きではありません。知らずに出かけただけです。)

以上、『厳冬期の六甲山縦走』でした。

美しい日本を巡る自転車の旅(

2014/01/08

1月3日銀輪クラブの初もうでに出発です。豊中本町公園に集合、手先がジンジンする寒い朝京都嵐山の松尾大社に向け西国街道をはしります。

自転車初詣、京都『松尾大社』と9号線『老ノ坂峠』を、仲間と走った。

2014/01/05

にわ まことが、ご報告!

仲間と自転車で走ったのは、小学校の時悪餓鬼とつるんで尼崎の地球儀の上の金の牛(確か今は無い山一證券の広告塔?)から国道2号線を東に走り、武庫川源流探検に出かけて以来だ。それ以来ずっと単独輪を通してきた。単独輪に強い意志があったわけではなく、只仲間がいなかっただけの事・・・。

昨年7月ごろだったか、豊中の自転車屋『銀輪亭』に顔を出す様になり、新入りにしては大きな顔をしていると言われながら、忘年会にも顔を出した。忘年会の席で新春サイクリングの計画が発表され、3日亀岡の『元出雲大社』に初詣と決まった。亀岡は何度か通過した事があるし、片道40kmとひとっ走りだ。

銀輪亭の裏の公園で、出発前の記念撮影!完全なおっさん5名と、おっさんと若者の中間の2名で朝9時過ぎに旅立った。カメラマンはわれらの『ボス猿カズさん(失礼しました!)』で、後程登場します。右端は、銀輪亭のオーナー出口さん。私の左の黄色いウインドブレーカーは、知る人ぞ知る中西大輔さん。この人、1998年から11年かけて130カ国151,849kmを旅した人で、JACCの自転車世界一周主なる記録のトップに名前がある。



ここは、桜井の駅跡にある楠公父子訣別之所。JR島本駅のすぐ前にあって、桜井の駅と言っても阪急の桜井駅ではない。馬が交通機関として活躍していた頃の、馬の休憩所の様なところだったらしい。



公園の前で、しばしの休憩を取る。この日は朝から快晴で、決して寒過ぎないサイクリング日和だ。



旧西国街道からJRの踏切を渡ると、サントリー山崎蒸留所がある。看板の左が、出発の時カメラマンをしてくれたボス猿のカズさん。この人、登りになるとだれもついていけないぐらい早い。詳しくは後程・・・。昔、新年は振る舞いウイスキーがあったと誰かが言いだし、見学受付で聞いてみた。出口さんが『昔ここで新年に、振る舞い酒があったんだけれど、今もやっているんですか・・・?』と守衛室の若い兄ちゃんに聞いてみたけれど、『さあ、知りませ~ん・・・』と云う返事。きっと彼が生まれる前のことかもしれないなあ。

国道9号線を突っ切ってしばらく行ったあたりで、腹が減ったのでそばを食べようということになった。辿りついたのが『松尾大社』。帰ってから地図を見たら、ここは昨年10月に洪水見舞いで立ち寄った、渡月橋から目と鼻の先だった。境内に入る手前のそば屋で、京都で合流した仲間と8人で昼飯を食った。渡月橋も同じだったけれど、ニシンそばが旨かった。なんとお昼は、カズさんのおごりだった。カズさん、ご馳走様でした。



正月も3日だというのに、境内に続く道は人で溢れている。とても自転車を押してはいけないので、近くの茂みにデポした。



こんなに大きな絵馬は、見たことが無い。午年か・・・、元気に野山を駆け回ろう。



 

 

松尾大社を後に国道9号線まで戻って、亀岡へ向かった。登り切った峠にある『老の坂トンネル』。なんとなく我々には、意味深なトンネルだ。ここを出て亀岡から『元出雲大社』へ行く予定だったが、時計を見て来年の初詣に取っておくことにした。安全第一、とっても良い判断だと思う。



 

仲間が乗っているFELTのカーボンフレームのロードバイクだ。3台目が私のマウンテンバイク。前者がサラブレッドなら、私の自転車は農耕馬というところかな・・・。転んで血だらけになっても自転車は怪我をしない、丈夫なだけが取り柄の相棒だ。重さだけで比較すると、サラブレッドは農耕馬の約1/3ぐらいだ。

ここで小休止して、ここから一気に亀岡まで下るはずだったが、カズさんの後を付いてトンネルをくぐって下りに入った途端・・・・



前で、パシューという音がしてカズさんの自転車が速度を落とした。パンクだ!一人で走っている時のパンクは物悲しいけれど、仲間と走っている時はなんて賑やかなパンク修理なんだとびっくりした。本人も、まるっきり悲壮感がない。後続の出口さんに向かって『自転車屋さ~ん、仕事やで・・・』と呑気なもんだ。どうもブレーキシューのセッティングが悪かったらしく、リムの近くのタイヤの側面に小さな穴を発見した。ワイワイ騒ぎながら、あっという間に皆で修理をしてしまった。



 

国道9号線から亀岡で国道423号線に入り、ひたすら峠道を登ってゆく。この坂は、中西大輔さんのランドナーバイクと登った。ちょうど西別院の郵便局のあたり、続々と後続バイクが峠に到着した。このまま池田に抜ける仲間は、ここで登りは最後となる。箕面に抜ける仲間は、池田組に別れを告げて国道423号線から箕面へ抜ける府道4号線に入った。

箕面へ向かう最後の峠までの登りを、ボス猿カズさんの後について走ろうと思った。初めのうちは、カズさんがどのギヤーで走ってどのタイミングで変速しているかが分かるぐらい、ぴったりと後を追った。でもしばらく走ると、それは無謀なチャレンジだということが分かった。勾配がきつくなるにつれて、だんだんとそしてジワジワと引き離されてゆく。コーナー一つ離されたと思っていたら、気が付いたらもう先に見えなかった。確か私より幾つか歳を重ねているはずだけれど、どうなってるんだと思ってしまう。峠を登り切ったあたりで、カズさんが待っててくれた。止まっているカズさんの後ろでピタリと止まったら、カズさんが振り返って二カッと笑った。参りました、降参です。

箕面組が峠に集合して、ここから一気に箕面の駅まで下ってゆく。もう薄暗くなって、路面がよく分からないコーナーもなんのその、自動車だってこんなスピードでコーナーには入らないぞと言う勢いで下ってゆく。砂でも踏んで誤って落車したら、無事ではいられない。

なんとか無事に下りてきて箕面街道を南下、ロマンチック街道との分岐で仲間と別れて我が家に帰り着いた。心地よい疲れが、頭と体をぐるぐる回っていた。

ツーリングの記録

天候:快晴、暑くもなく寒くもなく、年に数回あるか無いかの絶好のツーリング日和。

走行距離:101km

最高速度:52.3km/h(あまり無理をするのはやめましょう。)

平均速度:19.8km/h(播州清水寺の苦難と同じだった。)

走行時間5時間3分(寄り道ばっかりで、楽しかったなぁ~。)

良かったこと:それは何と言っても、仲間と走ることがこんなに楽しいということを知ったことでしょう。

反省点:全くありません。

以上、楽しい松尾大社・老ノ坂 初詣自転車ツアーでした。銀輪クラブのみなさん、仲間に入れていただき、ありがとうございました。貧乏なんで遠出はできませんが、今後ともよろしくお願いいたします。

にわ まこと

 

あけましておめでとうございます。

2014/01/04

2014年新年あけましておめでとうございます。

1月3日(金曜日)銀輪クラブの新春サイクリングに出かけました。

朝9時に銀輪亭に集合したのは、出口・丹羽・坂本・清水・中西・田島・山内

全員で7名です。

行き先は旧西国街道をたどり、茨木・高槻・大山崎・長岡京・向日町・嵐山松雄大社

その後、国道9号線を通り、老いの坂峠・亀岡・西別院・余野・高山・箕面・豊中

走行距離は約110㎞。老いの坂峠・蓬莱峠・高山峠と新春地獄登坂の決行しました。

楽しい思い出とともに体の疲れも残りました。

         銀輪亭裏の公園で集合(9:49分)



 

桜井の駅跡にて(10:42分)

 

 

 

その後の写真は皆様から頂き次第掲載します。

何はともあれ、銀輪クラブ初サイクリング、2回目は3月西へ、明石で卵焼きと刺身を食べに行きます。

行程は六甲超え?有馬街道?はたまた、海沿いの造酒屋街道、どこを選びましょうか?

ご意見募集します。

 

カズ爺からのお知らせ

2013/12/15

今年も随分と押し迫りつつせわしいですね。

今年はカズ爺のサイクルメーターは、約11,000㎞に達しています。

毎月1・2回のサイクリングと春のツーリングそして秋の台湾旅行

何よりも、毎日の通勤で今年は11,000㎞去年は10500㎞でしたから

同じようなものです。

春野四国ツーリング2泊3日に出かけたみなさんや、銀輪亭になじみのみなさん、

いよいよ2014年1月1日をスタートとしてサイクリングクラブ銀輪を開始いたします。

参加希望の方は、ぜひ銀輪亭の出口店長・坂本代表・カズ爺に連絡ください。

播州『清水寺』と近くに住む『お百姓さん』を訪ねた。

2013/12/06

とっても長いブログです。

播州『清水寺』って、知ってますか?もともと、『お百姓さん』に会いに自転車で出かけるつもりだったけれど、近所のランドマークとして『清水寺を目指して来い!』とお百姓さんに言われた。それならついでにお寺を見に行こうということになった。

出発の朝、準備も手馴れてきていつもよりちょっと早めに家を出た。最短距離はやはり国道176号線を西に向かうのだけど、前日に地図を見ながら国道を避けて朝の千刈ダム湖や千丈寺湖の風景を見ながら走ろうと計画を練った。ところが、また道を間違えた。県道12号川西篠山線から広根で県道324号切畑猪名川線に入るところをかなり行き過ぎて、紫合まで行ってしまった。引き返しても良かったけれど、このルートは南下したことはあっても北上するのは初めてだったので、15kmばかり遠回りだけどそのまま北上して国道327号線の日置まで走った。4月に篠山へ行った時に国道173号線を北上したが、今回のルートの方がずいぶんと優しい。越える峠は2つで、道はなだらかで走りやすい。



県道12号線の、道中の茶畑です。気温は0℃で、朝日のあたっているところは融けているけれど、霜が降りて葉が白くなっている。大丈夫なのかな?



自転車にとって結構いやなのが、この凸黄帯だ。自動車のドライバーに『下りですよ・・・、スピードに注意してくださいね~ブーン・・・』というお知らせ音を出すんだけれど、自転車にとっては、ただただ不快な振動が襲ってくるだけだ。何も道幅いっぱいにしなくても、中央寄り半分でも十分音は出ると思うよ。我慢しながらこの坂を50km/h以上で、ちょとスリルを楽しみながら下ってゆく。



国道327号から今田で県道141号線→県道311号線を進むと、清水寺の入り口に着く。ちょっと進んだら高速道路の入り口の様な立派なゲートが見えてきた。近づいたらおばさんが小さな窓から顔をだして、『この道は自転車は走れませんよ~』と手を振って叫んでいる。『どうすればいいの?』と尋ねたら『チョット下のお地蔵さんのところから登山道があります・・・・歩いて40~50分です~・・・』だって。行ってみたら何とか自転車で走れると思ったのも僅かの間で、だんだんと道は険しくなって走るどころの騒ぎでは無くなってきた。標高約500m標高差250mの山頂へ、ハンドルとサドルを持って延々押して歩いた。



岩や木の根っこに躓きながらようやくフラットになったと思ったら、石段が待ち構えていた。ここで止めるわけにはゆかない。自転車乗りの意地ってえものがある。石段の端の斜めに積んである石の上にタイヤを乗せて、自転車を引き上げた。サイクリングのつもりで来たのに、何をしてるんだか訳が分からなくなってきた。



やったぜ・・・、『清水寺の大講堂』です。お堂の前のベンチに座っておにぎりを食べてたらびっしょりの汗の為に寒くなってきた。周りを見ても爺さん・婆さん・仏さんばっかりだったので、上半身裸になって全部着替えた。



京都の清水の舞台とまではいかないけれど、なかなか立派な建物です。西国巡礼二十五番札所になっている。



ちょっと中に入ってみた。



中にお住まいは、千手観音様です。



この階段を登ると(自転車は、大講堂の前で休ませてやりました)・・・



根本中堂があります。『こんぽんちゅうどう』と読みます。箕面の滝で時々話をするご婦人に自信たっぷりに『播州清水寺にねもとちゅうどうがあってね・・・』と言ったら、『こんぽんちゅうどうですよ・・・』と笑われた。どちらの建物も600~700年頃創建されたんだけれど、大正の初期に消失して、再建されたようだ。詳しく知りたい方は『播州清水寺』のホームページをご覧ください。



鐘楼です。要するに鐘撞き堂だ。世間でよく見るのは、4本足のお堂で鐘が丸見えの奴だけれど・・・・・



ご覧の通り、鐘は建物の中にしっかりと納まってる。



止めてほしいよね、こういうの!記念のつもりかもしれないけど、そんなに見てほしかったら自分家の塀にでも書けばいいのに。藤本さん、どうせ書くなら快晴の字ぐらい間違わずに書けよ・・・。もう50年近く前の落書きか、生きとるかな?



根本中堂へ登る階段からみた、大講堂です。お寺の屋根にはあまり詳しくないんだけれど、入り母屋造りと言うのかな・・・、棟の線も庇の線も綺麗な曲線をしている。私のログハウスの屋根は、真っすぐ・・・。



紅葉の時期は過ぎてしまったようだけれど、ここの紅葉は黄色くなるのかな?



ほら、黄色い絨毯の様だ。



さて、下山することにしましょう。下りとはいえ、とても自転車に乗って走れません。下手するとディレーラーを岩にぶつけそうになるし、木の根っこは蛸の足のように地面を這っているし、おかげで道中3度もつんのめってしまった。この道は、自転車には不向きです。ロードバイクの人は、立ち入らないほうが良いです。リムを痛めます。

自転車のお話はここまで、ここからは『お百姓さん』のお話です。



神戸の地震の前に関西でカヌーをしていた人なら絶対に知っている、アウトドアショップTORからお話は始まります。約30年前、ひょんなことから西宮戎の白い土壁の前にウナギの寝床のようなカヌーショップへ行った。カヌーとの出会いは、私の人生で大きく舵を切ることになった出来事だった。昭和60年頃の写真です。大きく『TOR』と金文字で屋根に打ち付けてある。いずれ神戸のトアロードにお店を出したいという思いから、TORと名付けたそうだ。しかしカヌーのブームもあの神戸の地震を境に大きく様変わりし、ウナギの寝床よりはるかに大きくなったお店も、大きく変わらざるおえなかった。その後紆余曲折があって、50歳を過ぎてから『お百姓さん』として生まれ変わった。



そう、この人はTORの山口さんと奥さん。横に偉そうに髭を蓄えて立ってるのが、当時小学生のひろ君。



大根畑です。わずかの畑を鍬で耕すことから始まり、今では7反の畑で野菜栽培を手掛けている。減農薬と有機に徹して旬の野菜を作っていて、たくさんの注文が入るところまで力を付けてきた。



今まで経験してこなかった物を作るという喜びと、自然を感じながら生活する素晴らしさを、熱く語ってくれた。



お野菜を、いっぱい頂いた。『プラスチックのコンテナを自転車にくくれますゥ~?』と言われたけれど、自転車は軽トラじゃあないんだからとても難しい注文だった。日没までに帰り着きたいので小一時間ぐらいしか話ができなかったけれど、また近いうちに会いましょう・・と約束して、1時過ぎに帰路に着いた。お野菜をいっぱい頂いて文句を言っては罰が当たるんだけど、とにかくペダルが強烈に重い。道に迷っている時間は無いので県道141号で三田まで行って、国道176号線をひたすら豊中に向かって走った。途中で真剣に気分が悪くなり、コンビニに入ってフルーツのいっぱい入った甘い甘いゼリーを食べたら元気になった。血糖値が下がってたのかな?

宝塚駅前のトンネルが怖かったので、上の道を通った。ふと頭をあげたら『止まれ』の標識が見えて、アッと思ったけどそのまま突っ込んでしまった。・・・・っとそこに数人のお巡りさん。その中の一人が二歩前へ出てきて、『まずい、何か言われる・・・』と思って少し減速して通り過ぎたら、お巡りさんの視線の先はバッグから飛び出して風になびく、大根の葉っぱだった。『畑荒らし』ではありませんよ・・・!



これだけの野菜を、汗臭いシャツと一緒にバッグに詰め込んで運んできた。何でも測ってみたい癖のある私は、ヘルスメーターで野菜の目方を測ってみた。なんと7㎏弱。自転車が22㎏だから、ワァ・・・最近流行りのロードバイクの3倍はある。血糖値が下がるわけだ。



赤カブです。畑で奥さんに会った時、真っ先に『ほらにわさん、あの赤カブ・・・・』。



TORの奥さんは、覚えてくれてたんです。25年ぐらい前かな、カヌーで琵琶湖を単独で一周していた時に、昭和63年11月3日長浜城近くの小さな浜で休憩をとった。



休憩を終えて少し南下したところで、美しい風景に出合った。



また浜に上がって、農家のおじさんにお願いして、写真を撮らせてもらった。琵琶湖から吹く冷たい風に当てるそうだ。

その時の私の自慢話を、『TORの奥さん』ではなく『お百姓さん』は覚えててくれた。嬉しかった!夕食のメニューは決まっていたけれど、早速風になびいても元気な大根葉を切り落として一品作った。網エビと花鰹と一緒に炒めて、醤油と砂糖でちょっと薄めに味を付けた。旨かった!次の日の夕食には、赤カブの浅漬けが食卓に彩りを添えた。とろっとした滑りが、何とも言えない。『お百姓さん』ありがとう!また、食糧をくださいな・・・。

長いお話になりました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。最後に自転車の記録と、感想文を書いてお終いにします。

走行距離:126.4km(行は遠回りで70km、帰りは56km)

最高速度:53.5km/h(これ以上は、もう怖い!)

平均速度19.8km/h(20km/hには届かなかった。)

走行時間:6時間22分

良かったこと:やっぱり播州清水寺よりは『お百姓さん』に会えたことでしょう。

悲しかったこと:宝塚の手前だったと思う。川沿いの道を走ってて、幅寄せの嫌がらせに会った。横を走るマツダのワンボックスが、急に速度を落として自転車に寄ってきた。初めはなにか道路の状況かと思ったけれど、そんな様子は無い。危うくガードレールに接触するところまで寄せられた。車はその後、速度を上げて走り去った。まだ、あんな運転をする人が世の中にいるのかと思うと、悲しくなってしまった。

以上、『播州清水寺&近くに住むお百姓さん』のお話でした。