‘銀輪亭倶楽部の行事’ カテゴリーのアーカイブ
自転車初詣、京都『松尾大社』と9号線『老ノ坂峠』を、仲間と走った。
2014/01/05
にわ まことが、ご報告!
仲間と自転車で走ったのは、小学校の時悪餓鬼とつるんで尼崎の地球儀の上の金の牛(確か今は無い山一證券の広告塔?)から国道2号線を東に走り、武庫川源流探検に出かけて以来だ。それ以来ずっと単独輪を通してきた。単独輪に強い意志があったわけではなく、只仲間がいなかっただけの事・・・。
昨年7月ごろだったか、豊中の自転車屋『銀輪亭』に顔を出す様になり、新入りにしては大きな顔をしていると言われながら、忘年会にも顔を出した。忘年会の席で新春サイクリングの計画が発表され、3日亀岡の『元出雲大社』に初詣と決まった。亀岡は何度か通過した事があるし、片道40kmとひとっ走りだ。
ここは、桜井の駅跡にある楠公父子訣別之所。JR島本駅のすぐ前にあって、桜井の駅と言っても阪急の桜井駅ではない。馬が交通機関として活躍していた頃の、馬の休憩所の様なところだったらしい。
公園の前で、しばしの休憩を取る。この日は朝から快晴で、決して寒過ぎないサイクリング日和だ。
旧西国街道からJRの踏切を渡ると、サントリー山崎蒸留所がある。看板の左が、出発の時カメラマンをしてくれたボス猿のカズさん。この人、登りになるとだれもついていけないぐらい早い。詳しくは後程・・・。昔、新年は振る舞いウイスキーがあったと誰かが言いだし、見学受付で聞いてみた。出口さんが『昔ここで新年に、振る舞い酒があったんだけれど、今もやっているんですか・・・?』と守衛室の若い兄ちゃんに聞いてみたけれど、『さあ、知りませ~ん・・・』と云う返事。きっと彼が生まれる前のことかもしれないなあ。
国道9号線を突っ切ってしばらく行ったあたりで、腹が減ったのでそばを食べようということになった。辿りついたのが『松尾大社』。帰ってから地図を見たら、ここは昨年10月に洪水見舞いで立ち寄った、渡月橋から目と鼻の先だった。境内に入る手前のそば屋で、京都で合流した仲間と8人で昼飯を食った。渡月橋も同じだったけれど、ニシンそばが旨かった。なんとお昼は、カズさんのおごりだった。カズさん、ご馳走様でした。
正月も3日だというのに、境内に続く道は人で溢れている。とても自転車を押してはいけないので、近くの茂みにデポした。
こんなに大きな絵馬は、見たことが無い。午年か・・・、元気に野山を駆け回ろう。
松尾大社を後に国道9号線まで戻って、亀岡へ向かった。登り切った峠にある『老の坂トンネル』。なんとなく我々には、意味深なトンネルだ。ここを出て亀岡から『元出雲大社』へ行く予定だったが、時計を見て来年の初詣に取っておくことにした。安全第一、とっても良い判断だと思う。
仲間が乗っているFELTのカーボンフレームのロードバイクだ。3台目が私のマウンテンバイク。前者がサラブレッドなら、私の自転車は農耕馬というところかな・・・。転んで血だらけになっても自転車は怪我をしない、丈夫なだけが取り柄の相棒だ。重さだけで比較すると、サラブレッドは農耕馬の約1/3ぐらいだ。
ここで小休止して、ここから一気に亀岡まで下るはずだったが、カズさんの後を付いてトンネルをくぐって下りに入った途端・・・・
前で、パシューという音がしてカズさんの自転車が速度を落とした。パンクだ!一人で走っている時のパンクは物悲しいけれど、仲間と走っている時はなんて賑やかなパンク修理なんだとびっくりした。本人も、まるっきり悲壮感がない。後続の出口さんに向かって『自転車屋さ~ん、仕事やで・・・』と呑気なもんだ。どうもブレーキシューのセッティングが悪かったらしく、リムの近くのタイヤの側面に小さな穴を発見した。ワイワイ騒ぎながら、あっという間に皆で修理をしてしまった。
国道9号線から亀岡で国道423号線に入り、ひたすら峠道を登ってゆく。この坂は、中西大輔さんのランドナーバイクと登った。ちょうど西別院の郵便局のあたり、続々と後続バイクが峠に到着した。このまま池田に抜ける仲間は、ここで登りは最後となる。箕面に抜ける仲間は、池田組に別れを告げて国道423号線から箕面へ抜ける府道4号線に入った。
箕面へ向かう最後の峠までの登りを、ボス猿カズさんの後について走ろうと思った。初めのうちは、カズさんがどのギヤーで走ってどのタイミングで変速しているかが分かるぐらい、ぴったりと後を追った。でもしばらく走ると、それは無謀なチャレンジだということが分かった。勾配がきつくなるにつれて、だんだんとそしてジワジワと引き離されてゆく。コーナー一つ離されたと思っていたら、気が付いたらもう先に見えなかった。確か私より幾つか歳を重ねているはずだけれど、どうなってるんだと思ってしまう。峠を登り切ったあたりで、カズさんが待っててくれた。止まっているカズさんの後ろでピタリと止まったら、カズさんが振り返って二カッと笑った。参りました、降参です。
箕面組が峠に集合して、ここから一気に箕面の駅まで下ってゆく。もう薄暗くなって、路面がよく分からないコーナーもなんのその、自動車だってこんなスピードでコーナーには入らないぞと言う勢いで下ってゆく。砂でも踏んで誤って落車したら、無事ではいられない。
なんとか無事に下りてきて箕面街道を南下、ロマンチック街道との分岐で仲間と別れて我が家に帰り着いた。心地よい疲れが、頭と体をぐるぐる回っていた。
ツーリングの記録
天候:快晴、暑くもなく寒くもなく、年に数回あるか無いかの絶好のツーリング日和。
走行距離:101km
最高速度:52.3km/h(あまり無理をするのはやめましょう。)
平均速度:19.8km/h(播州清水寺の苦難と同じだった。)
走行時間5時間3分(寄り道ばっかりで、楽しかったなぁ~。)
良かったこと:それは何と言っても、仲間と走ることがこんなに楽しいということを知ったことでしょう。
反省点:全くありません。
以上、楽しい松尾大社・老ノ坂 初詣自転車ツアーでした。銀輪クラブのみなさん、仲間に入れていただき、ありがとうございました。貧乏なんで遠出はできませんが、今後ともよろしくお願いいたします。
にわ まこと
あけましておめでとうございます。
2014/01/04
2014年新年あけましておめでとうございます。
1月3日(金曜日)銀輪クラブの新春サイクリングに出かけました。
朝9時に銀輪亭に集合したのは、出口・丹羽・坂本・清水・中西・田島・山内
全員で7名です。
行き先は旧西国街道をたどり、茨木・高槻・大山崎・長岡京・向日町・嵐山松雄大社
その後、国道9号線を通り、老いの坂峠・亀岡・西別院・余野・高山・箕面・豊中
走行距離は約110㎞。老いの坂峠・蓬莱峠・高山峠と新春地獄登坂の決行しました。
楽しい思い出とともに体の疲れも残りました。
銀輪亭裏の公園で集合(9:49分)
桜井の駅跡にて(10:42分)
その後の写真は皆様から頂き次第掲載します。
何はともあれ、銀輪クラブ初サイクリング、2回目は3月西へ、明石で卵焼きと刺身を食べに行きます。
行程は六甲超え?有馬街道?はたまた、海沿いの造酒屋街道、どこを選びましょうか?
ご意見募集します。
カズ爺の四国酷道Pr4
2013/05/26
5月5日 最終日です。
藤田氏・稲地氏は昨日JR豊永駅で別れたことから、10名が「緑の時計台」で目覚め、朝食をとります。
朝食係は出口・清水・大畑さんがよく働いてくれました。同行のみなさん感謝ですよ!感謝
まるで ホテルのバイキング式の朝食会のようです。
しかし、後で知ることになるのですが、朝食つくりをしている間に、世界2周男は大豊の「大杉」を見に行ってたのです。本当にまめな自転車乗りですよ。
午前7:30から朝食会みんなよく食べました。
当日カズ爺の体調は多少改善方向にあることから当日は皆様の邪魔にならない程度に走るつもりでした。
みんなでおいしく朝食をとる。
8:30分いよいよ「緑の時計台」を出発して早明浦ダム経由寒風山トンネルをめざします。
この宿は、企画も楽しいものですが、校長先生・用務員ともに阪神大震災まで西宮のコナミスポーツでエアロビックスと水泳のコーチをしていたとのことです。
わたくしも当時そこに通っていたと思いますが、この人たちの記憶はありません。
エアロビックスと水泳のコーチが高知で宿経営洒落ですな。
出発時に気付きました。また1人足りません塩谷氏が中西氏の「大杉見物」を聞いて出かけています。彼は悪気はないのですが、少し勝手な行動が・・・・?
なんとか連絡を取り合流することができました。
土佐町の道の駅早明浦でモーニングコフィーと本日のコース説明をしました。
道の駅の外のテーブルを占拠して楽しかったな。
本日のコース説明今日のコースは傾斜の少ないダム湖側道と吉野川沿いの景観の美しい日であることを説明。
その後景色を楽しみながら走りました。途中で滝が流れ込み美しい水と景観に、みんなは再度訪れたいと喜んでいただきました。
その後、道の駅木の香で全員の集合点呼を行い、いよいよ寒風山トンネル標高1200mから一気に伊予西条までの20㎞のダウンヒルです。いっきに40分くらいで走り切り、国道11号線で塩谷氏はしまなみ海道方面へ、キム氏は再度山に向かい、別れました。残り8名は伊予西条駅に行き、大畑・清水。カズ爺はJRで輪行帰還。馬場・中西・田島・出口は車で帰還しました。
それにして全員無事で楽しんでいただいたことに感謝します。
カズ爺の体調が悪いことにご心配を掛けたことまことに申し訳ない。次回はもっとすごいところを用意しますから、期待してね。
追伸:その後カズ爺は5月26日現在元気は回復しております。26日に一人でひそかに暗峠 の攻略を完成しました。
次のレポートは暗峠を書きます。また清水氏も26日から東海道一人旅を開始しました。
カズ爺の四国酷道pr-3
2013/05/26
5月4日 朝とともに温泉につかり、朝食を頂き8:30に出発集合です。
昨晩キャンプをした中西・キム氏も駐車場に集合しました。全員で集合写真を撮りました。
後列左から世界2周男中西・稲地・大畑・キム・清水・田島・出口・藤田・塩谷・馬場、車いすの後藤そして写真撮影のカズ爺の全12名で出発です。
今日のコースは前半20㎞は祖谷川を下り、その後15㎞は酷道439の京柱峠まで約800mの登坂です。大したコースではありませんが、その狭さとぬ人地帯の深い森の中を彷徨う峠道です。景色や雰囲気を楽しみます。
カズ爺は依然喘息発作が治まらず、上りの区間は車に乗り写真撮影にいそしみました。
田島さんも上りを楽しそうに走ります。
その間も世界2周男は、タラの芽を探しながら自転車を降りて谷底へ狩猟民にょうな形相で山菜取りに余念がありません。撮ってきたタラの芽はキムさんの自転車のザックの中に詰め込んで、今夜のオカズ鳥をしています。
塩谷さんも余裕の顔で通過。
キムさん馬場さん出口さんも頑張っています。
後の人も全員京柱峠の頂上に予定時間内に到着。峠の茶屋で猪肉うどんを食とおにぎりを食べました。
その後、京柱峠から下る途中に大畑氏のタイヤがパンク自ら修理して事なきを得ました。
土讃線の豊永駅で、藤田さんがJRで帰路につき、又、稲地さんも32号線を北上し大歩危から池田町に出て帰路につきました。
藤田さんは今年は膝を痛めていたことから、伴走車運転に徹してもらいましたが、来年は膝を治して走ると宣言をしていました。
残りの10名は今夜の宿大豊町にある「緑の時計台:学校に泊まろう」へ向かい、大豊インター横のスーパーマーケットで食材を仕入れて緑の時計台でBBQパーティーです。
ワイワイガヤガヤ楽しく食事をしました。
施設の経営者の校長先生と用務員さん達も加わり夜が更けます。
カズ爺は早めに布団に入り寝ていましたが、学校行事の雑巾掛けレースの用務員の声がひびきわたる布団の中で喘鳴を響かせておりました。
カズ爺の喘息で四国酷道
2013/05/25
5月3日6:30徳島のワシントンプラザホテルを出発。
熟睡できずに呼吸が困難。吉野川沿いを約50㎞で貞光には行けるのです。
また、道は高低差もなく快適なサイクリングのはずですが、平均速度を上げることが困難です。
途中のコンビニで朝食をとり、塩谷さんと走ります。
塩谷さん曰く、カズ爺が体調不良がちょどよいペースだと上機嫌である。
8:30頃に吉野川町で 小休止。
吉野川のゆったりとした流れにいやされます。
9:30頃に貞光駅に到着。すでに今朝大阪を出発した出口、後藤、中西、馬場、田島氏等は貞光駅前に到着しておりました。
また、昨日神戸から出たキムさんも現地付近でキャンプをしていたそうで到着されていました。
中西氏とキム氏はケーナの民族楽器を吹き鳴らし、朝からテンションが高いこと。
それにしても、貞光の近所の住民は大人しいのか?誰も文句は言いません。大阪なら「ジャカマシイ朝からピーピー音立てるな!」とわめかれると思います。
10;08最後の清水さんが列車で到着。10:30出発の集合写真を撮りました。
その後、二重梲のある家並みを抜け、貞光川沿いの渓谷をさかのぼります。
徳島県の脇町やこの貞光町は江戸期から藍染で裕福な商家が多く存在し、家屋の防火設備として梲を設けたそうで、商売が下手で梲を建設できない人のことを「梲の上がらない奴」というようになったとのことです。
その後、出発から15㎞地点の岩戸温泉近くの町役場支所前で12時過ぎとなり、昼食を取った。徐々に上りの勾配がきつくなり、カズ爺は呼吸困難で足が回らない。全体の3分の2ほど登ったところで、タイムリミット伴走車に拾われました。
走行中の写真は余りにも厳しい登りで、誰も撮影できず、記録に残せないのが少し残念である。しかし、さすがに、中西・キム・田島・出口・塩谷・大畑は時間内に見ノ越までの登りを終えることができた。この登坂量1,420mと距離20㎞は、日本でも有数の峠道である。
特筆賞賛に値するのは、初心者の田島氏と高齢である大畑氏である。彼らの凄さは世界的にも高名な世界2周男「中西」を抜き去る走りができた、脱帽ものである。又、上り坂に弱点があった塩谷氏が好成績で登りきれた事も素晴らしい、見ノ越の茶屋でしばし休憩、思い思いに祖谷そばを食べたり補給をしました。また、雨に打たれたことから、ストーブに当たり暖をとりました。
見ノ越で道は酷道438号線から439へと分岐します。ここからしばらくは下り基調で
途中に二重かずら橋・案山子村と見どころがありますが、体力的に観光気分ではありません。
案山子村風景
この案山子たちは、かつてこの村に居住していた人々のモニュメントと聞く。あまりにもリアルな姿に少し不気味な思いがした。
その後、4:30いやしの温泉郷三嶺に到着11名は温泉に宿泊し、中西氏とキム氏は山でキャンプとなりました。
温泉の泉質は単純泉のようでサラサラと気持ちの良い泉質でした。
食事は素晴らしくおいしい懐石料理で食べきれないほど堪能しました。
宿泊の部屋は古民家の大広間、囲炉裏があり また訪れタイと思う宿です。
カズ爺は食後ただちに布団にくるまり喘息に耐えるのみでした。
カズ爺の和歌山で喘息
2013/05/25
久しぶりの投稿です。
5月の連休に銀輪亭とJACCが主催する春のツーリングに出かけました。
今年のテーマ「四国内陸部の酷道を行く」でしたが、それは過酷な地獄道を12名で出かけました。
今回はプロローグ5月2日、集合地点の徳島県剣町貞光に向かうために、私一人で和歌山経由徳島までの
奮戦記から紹介します。
実は私にとって、このサイクリングで致命的な失敗をしたレポートとなります。
5月2日何時ものように早朝会社に向かい、午前中伊丹本社で仕事をしました。
午後4:30和歌山港発の徳島行きフェリーに乗るために、11:30頃に事務所を出て、近くの
ローソンで水を買い出発です。
この時は、5時間あれば余裕のヨッチャンで和歌山まで95㎞走れると高をくくっていました。
武庫川左岸の堤を尼崎方向に南下、171・山手幹線・阪急・JRを超えて国道2号線を左折し、阪神出屋敷あたりで、さらに右折R43を大阪方面へ向かいます。中島付近で淀川を渡り、そのまま進むと大川で43号線側道がなくなります。自動車専用道路となり、自転車ではすすめません。
仕方なく源八渡しは地下道へ、また次は自転車を降りて階段で43号線路面下の仮設歩道のようなところを上り下り、いい加減時間がかかりました。やっとの思いで津守北交差点で新なにわ筋を南下して住吉あたりここですでに1:00頃となります。まだ4:30には大丈夫と変な自信。
このあたりでひる昼食にラーメンを食べに入りました。
この店の売りとしている肉そばをおいしく頂きました。その後浜寺あたりで、2:30、少し焦りだしました。
「残り2時間で和泉・泉佐野 ・岸和田・・・・岬町そして和歌山むちちゃうか?」
ここら当たりで危機感を抱き、国道26号線を必死のパッチ追い込みにかかりました。
その後汗と鼻水でグシャグシャニなりながら走る走る、ほとんど自動車と同じ速度で、時には原付を追い抜いて車を追い越し、
鳥取海岸あたりで3:25分。岬町で3:40、このあたりでは無理・・・と叫びながら最後の孝子峠で4;00
臨空ゲートタワー3:15
熊取海岸付近3:25分
中孝子15:50
県境の孝子峠を越えたのが16:00ほとんど時速30㎞以上で峠を駆け上り
残り時間30分、半分以上無理ムリーと叫びながら、足だけはあきらめようとしません。
ついに和歌山新港にかかる吉野川大橋を超えるころには、16:20分
フェリーボートが港に見えます。必死のパッチで足を回し、16時28分チケット売り場に倒れこみながらなんとか乗船。
乗客としては最後に乗り込みました。
船室に入ると座る椅子もなく、また汗だくの鼻水を流し、髪の毛の逆立つ爺を全員がいぶかしげに見ます。
子供は私の形相を見て泣き出します。 一人デッキのベンチでですずみながら徳島に向かいます。
和歌山港を出てゆきます。
しばらく行くと右手に淡路島が見えだしたころ、汗も乾きつい「ウトウト」寝てしましました。
これが失敗。徳島高に着くころに目覚めると気管から「ヒュー・ゼー」喘息の発作が。
心の中で「鳴ー終わり」と思ってしましました。
徳島で淡路島経由で入った塩谷氏と合流食事後、さみしくワイントンプラザで喘鳴を吐きながら、一晩中浅い眠りにつきました。