京都『芹生峠』1970年2007年2014年
2014/07/10
初心者の私には、自転車の師匠がたくさんいます。そんな師匠の一人『山賊総業』さんが紹介してくれたのが、『芹生峠』です。せりょう峠と読みます。山賊総業さんは1970年・2007年と、2度『芹生峠』を訪れています。ブログを読んでいて、どうしても『芹生峠』に行ってみたくなった。何故か、2014年の報告は、私のミッションのように思えた。このブログに合わせて、是非『栗尾峠・笠峠 周山街道と国鉄バス』と、『芹生峠 伝承の山里芹生』をご覧ください。これらのブログに出てくる写真の2014年版を、これから紹介します。
この峠が、今日7月9日の目的地です。台風8号の接近で、チャンスは今日しかないといつものように、朝の6時に家を出た。
いつもの散歩コースで箕面の滝を目指します。滝にワンタッチして、少し引き返したところから箕面のドライブウエイに上がって、府道4号線と国道423号線を通って、亀岡に抜けます。
亀岡からJRの線路を渡って北に向かう道から、西の方角を撮影しました。もしかしたら、奥のほうに連なる山は、先月宮津からの帰りに越えた多紀連山(おおたわ峠)かもしれない。西ヶ嶽・三嶽・小金嶽あたりかな?
国道477号線を右へ、周山方面に向かいます。
さあ、そろそろ美しい北山の杉並木を走れると思った矢先、またもや『国道477号線通行止め』 前回はほんのちょっとだけで、迂回の距離もしれていたけれど、今度の迂回路は2倍近く走らないといけない。さて困った、どうしようかと悩んだけれど、『まあ、行くだけ行って、だめならそこで考えよう・・・』と、いつもの結論になった。通行止めの場所に着くまでに、何か所も立て看板があり、『自転車・歩行者も通れません。Uターンしてください』と書いてある。だんだんと心配になってきて、いざという時の言い訳も、『友達がこの先で待っている・・・』なんてすぐわかるような嘘を3通りぐらい考えた。
この写真は、通行止めを強行突破した後、振り返って撮影をした。バリケードまで来たら、重機のエンジンは止まっていた。紫の重機の向こうに見える建物が、現場事務所。とにかく見つかっては大変だから、自転車を抱えてパイプのバリケードを越え、50㎝ぐらいの狭い狭い通路を必死で通り抜けた。ここまでくればもう安心、見つかったら『あぁ通行止めですか!引き返しま~す・・・』と言って、周山に走り去ればいい。再び自転車に跨って走り出した直後、向こうから現場に向かう小型トラックと軽トラがやってきた。あと5分遅かったら、とんでもない迂回路に戻らないといけないところだった。
美しい北山杉の中を走ります。
道路のど真ん中にカメラをセットして、北山杉をバックに記念撮影をした。絶対に車は来ないんだから・・・。
空に伸びる、北山杉です。
新登場!こんなアングルも、なかなか良いなぁ・・・。ハンドルには、バッグのほかに、サイクルコンピューター・40年以上使っている登山用コンパス、そして今回初登場の傾斜計(右側のグリップ内側)を付けました。ここの道は、大体5%前後の傾斜です。
周山の街道筋に出てきました。
『JRバス 周山駅舎』です。山賊総業さんのブログの写真と比較すると面白いです。『国鉄がJR』に、『引き戸が木製からアルミサッシ』に、屋根には『エアコン室外機』が乗っかってます。建物もバス乗り場も、昔のままのようです。山賊総業さんは、44年前に同じ場所でシャッターを押したんだ・・・!
でも街並には、車も無ければ人影も無い。山賊総業さんの写真には、当時の四つ目の自家用車や人々の往来が写ってる。
国道162号線を突っ切って、国道477号線をさらに西に向かいます。前回はここで国道162号線に入り、笠峠などを越えて嵯峨野に行きました。
国道477号線の横を流れるのは、桂川。アユの友釣りをしているのかな?
黒田トンネルの手前が下黒田、向こう側が上黒田です。山賊総業さんのブログに出てくる製材所があるはずなんだけれど、見つけられなかった。小さな製材所は下黒田に2件ばかりあったけれど、屋根にサイクロン集塵機があるような製材所は見つからなかった。黒田小学校芹生分校も、見つけられなかった。見落としたか?
珍しい小屋があります。今風に言えば、ログハウス。トンネルの前にも、同じようなのがあったなぁ・・・。
国道477号線とはここでお別れ、府道361号線をいよいよ今回の目的地、『芹生峠』へと向かいます。国道477号線は、そのまま進むと『花背峠』へと続き、その向こうは琵琶湖です。今度は、『花背峠』へ行ってみましょう。
この辺りは『灰屋町』というけれど、国道477号線には表示はなかった。昔の炭焼きからきているのかな?
灰屋養鱒場です。残念ながら、もう営業はしていないようです。
芹生峠に向かって、だんだんと勾配が強くなってきます。傾斜10%ぐらいが続き、ところどころ15%近い登りがあるけれど、ちょっと休ませてくれる弱い登りや平たん路があったりして、とっても優しい峠です。
この民家は、山賊総業さんのブログにも出てくる。『芹生の里』っていう料理屋さんだけれど、もう営業はしていない。
この家も、もう誰も住んでいない。世界のグローバル化が、日本の文化をどんどん壊してしまっている。
ついにやってきました、『芹生峠!標高約680m 比叡山を望む』って書いてあります。
この後ろに、比叡山が見えるのかな?今日は雲の中で何にも見えません。山賊総業さんが1970年にこの峠を越えたときは、地道だった。地道の峠越え経験は全くないので分からないけれど、おそらく舗装の2倍以上パワーがいると思う。すごい!山賊総業さん。
さて芹生峠を後にして、貴船に向かいます。向かいます・・・は良いけれど、このくだりが半端じゃあない。20%近いくだりが・・・・
延々と続きます。ここで山賊総業さんの、『芹生峠は、北から攻めると下りがいがあり、南から攻めると登りがいがある峠ですよ・・・』という言葉の意味がようやく分かった。北から攻めてよかった。南からこの峠道を攻めていれば、暗峠の二の舞になるところだった。路面は荒れているし傾斜は半端じゃあないし、スピードコントロールを誤ったら、自転車と一緒に林の中に突っ込んでしまいそうだ。
夜はとても走れそうにない。車で通るのも勇気がいる。まだまだ続くのかと思ったその瞬間・・・・
いきなり雰囲気が、がらりと変わってしまった。高級料亭?が居並ぶ、貴船に到着です。
『さあ、こっちへど~ゾ』と言われても、入れる身分ではありません。それに、汗臭いです。
ちょっとだけ、柵の隙間から中を覗かせてもらいました。『川床料理』です。涼しいだろうなあ・・・、冬はどうして食べるんだろうか、川床掘り炬燵かな?まあ、こういう所はあまり縁のないので、これぐらいにして先に進みましょう。
別世界を抜け出して、府道38号線を下って、街中に向かいます。
比叡山鞍馬線の下を通って、国道9号線を目指します。亀岡に戻って、そこから高山峠を通って箕面に・・・、って思ってたけれど、亀岡に向かう登りで両足が軽く痙攣してきた。騙しだまし登ってきたけれど、空模様が怪しくぱらぱらと雨が落ちてきた。これではとても安全に高山峠は越せない。
ちょうど『向日・長岡京』の看板が目に入ったので、潔くルートを変更した。旧西国街道の府道67号線を高槻に向かって走ってたら、だんだんと雨足が強くなってきて、大山崎のサントリーのところでは、もう土砂降りになった。『おーィ勘弁してくれ、まだこの自転車は泥除けがついてないんだからね・・・・』。高槻を過ぎたあたりでようやく雨も上がり、4時半過ぎに無事我が家に到着したのでありました。
自転車の記録
走行距離:152.9㎞/h
平均速度:19.8㎞/h
最高速度:43.9㎞/h(たぶん、高山峠の下りかな・・・、絶対芹生峠の下りではない。)
走行時間:7時間42分
水分補給:2リットル
カセット:11T-28Tで、芹生峠を北から攻めるには何とかなります。何時11T-32Tに交換しようか?
良かったこと:63歳の誕生日の翌日、今まではただ目に見える今を感じて走ってたけれど、今回は時代の流れ、変化を少し感じながら走ることができた。なかなか良いもんだ。
少し分かったこと:六甲山の苦い経験から、今回は早めのギヤーチェンジと軽めのギヤーで走ってみた。筋肉の疲労感は、かなり軽減されるように感じた。でも、なんで最後に痙攣が起きるんだろうか?重い重いマウンテンバイクでは、痙攣なんか起きなかったんだけれどなぁ!もう少し、この自転車の走り方を研究してみましょう。
反省点:先日100㎏の階段を人力で設置して、ここ数日間なんとなく腰に違和感を残したまま今回150㎞を走った。今日その後遺症か、椅子に30分座って立ち上がろうとしたら、痛くて周りを掴まないと立てない。違和感がなくなるまでは、峠越え・100㎞越えはちょっとやめとこうか!
ということで、次回は堺の自転車博物館にでも出かけて、大輔さんの地球を2周した自転車でも見てこようか。大輔さんの著書『放浪哲学』も、出版されたことだしネ・・・。