清水さん(東京~名古屋)
2013/05/30
お知らせです。
5月26日から30日にかけて、清水さんが東京~名古屋に向けて走っています。
26日 日本橋~小田原
27日 小田原~箱根~三島
28日 三島~浜松
29日 浜松~名古屋
28日は雨の中を走ったようです。 昨年の清水さん。
カズ爺も近いうちに枚方~新宮(168号線)早走り計画中。
サイクリング旅日記 |
素晴らしき自転車の旅 |
お知らせです。
5月26日から30日にかけて、清水さんが東京~名古屋に向けて走っています。
26日 日本橋~小田原
27日 小田原~箱根~三島
28日 三島~浜松
29日 浜松~名古屋
28日は雨の中を走ったようです。 昨年の清水さん。
カズ爺も近いうちに枚方~新宮(168号線)早走り計画中。
5月26日日曜日 暗峠走ってきました。
国道308号の線暗峠は古事記日本書紀にも登場する古い道、日本の国道の中でも稀有の存在です。
また、私の知る限りもっとも壮絶な酷道です。
昨年は大阪側からチャレンジして弘法大師の泉あたりで心が折れ、足がもつれ転倒し、残りは押したり乗ったりで皆様に報告しませんでした。
その帰りに奈良県生駒市に降りた感じでは生駒方面からなら登れるかもしれないと、密かにリベンジを待っていました。
今年、リベンジに向かい、帰り討ちに合い落ち込んでいます。
朝7:00自宅を出発
前回はKAZZⅠ号(青いランドナー)でしたが、今回はKAZZⅡ号黒のスポルティーフでチャレンジです。
補給食の飴・梅干し・水を持ち勝ってくるぞと勇ましく出発です。
淀川左岸の河口から24㎞の標識で 一休み、ここは香里園付近と思われます。
その後、枚方市の天野川にぶつかり天野川左岸を上流へ向けて梶を切ります。
天野川が、京街道と交差するところに鵲橋(カササギ橋)があります。ここには在原業平の句が書かれています。平安時代にはこのあたりで、狩り遊びが盛んで多くの人で賑わったようです。
天野川を遡り、私市の岩船神社に到着。ここは神話の時代に遺跡です。
このあたりは古事記に書かれている登美脛長彦の故郷です。彼は、神武天皇(神倭磐余彦)が東征に際し、大阪の日下津から上陸するのを阻止して戦い、神武天皇を海に追いやった人物です。
この戦いが今日の舞台の暗峠です。
生駒市内を168号線で南下すると南生駒付近でいよいよ道路標識にルート308の文字が見えます。
308号線侵入交差点には道幅が狭く道が急こう配であることの注意書きがあります。
もちろん大型車通行禁止、乗用車の大型は不可となっています。
この道幅半端な狭さではありません。また全線にわたりこの程度です。
侵入した途端10%超えのこの勾配です。
しかし、普通の峠では取り掛かりが急勾配の道はその後意外と緩勾配となることが多いのですが、ここは、これが緩いほうの勾配です。
奈良県側は比較的に勾配が緩いのですが、最大28%でこの勾配で数百メートル続くところが多くあります。
頂上に着くころには脱糞しそうな状態になること請け合いです。
座り漕ぎですとハンドルを引くと前輪が浮き上がります。立漕ぎに入ると後輪がスリップします。
全行程の20%は押し歩きました。
頂上には茶店が2件と石畳の道が100m峠の石碑が1つだけあります。
この後実はものすごいくだりがあることに気が付きませんでした。
普通の峠の下りは快適なサイクリングであるはずですが、この峠くだりは一部押し歩きが必要です。ブレーキが過熱して効きません。リムとブレーキシューを水で冷やしながらしか降りれません。後輪がロックして浮き上がります。
下る途中に大阪方面を見ると高層ビルが近くに見えます。
最大勾配は37%ですから歩道橋の階段程度の勾配が延々と続きます。
手はしびれ足がつります。下りこう配で足がつったのは初めての経験です。
午後1時頃には桜ノ宮銀橋に到着約6時間で走れる総距離80㎞の旅です。
暗峠には 今回も跳ね返されました。また快適でも爽快でもありません。
然し、峠は決して高さや距離ではないことを教えてくれる暗峠でした。
歴史ある街道を是非楽しんでください。また、ブレーキの調整を必ず行ってから出かけることと、リムとブレーキを冷やす水は常に携行してください。
5月5日 最終日です。
藤田氏・稲地氏は昨日JR豊永駅で別れたことから、10名が「緑の時計台」で目覚め、朝食をとります。
朝食係は出口・清水・大畑さんがよく働いてくれました。同行のみなさん感謝ですよ!感謝
まるで ホテルのバイキング式の朝食会のようです。
しかし、後で知ることになるのですが、朝食つくりをしている間に、世界2周男は大豊の「大杉」を見に行ってたのです。本当にまめな自転車乗りですよ。
午前7:30から朝食会みんなよく食べました。
当日カズ爺の体調は多少改善方向にあることから当日は皆様の邪魔にならない程度に走るつもりでした。
みんなでおいしく朝食をとる。
8:30分いよいよ「緑の時計台」を出発して早明浦ダム経由寒風山トンネルをめざします。
この宿は、企画も楽しいものですが、校長先生・用務員ともに阪神大震災まで西宮のコナミスポーツでエアロビックスと水泳のコーチをしていたとのことです。
わたくしも当時そこに通っていたと思いますが、この人たちの記憶はありません。
エアロビックスと水泳のコーチが高知で宿経営洒落ですな。
出発時に気付きました。また1人足りません塩谷氏が中西氏の「大杉見物」を聞いて出かけています。彼は悪気はないのですが、少し勝手な行動が・・・・?
なんとか連絡を取り合流することができました。
土佐町の道の駅早明浦でモーニングコフィーと本日のコース説明をしました。
道の駅の外のテーブルを占拠して楽しかったな。
本日のコース説明今日のコースは傾斜の少ないダム湖側道と吉野川沿いの景観の美しい日であることを説明。
その後景色を楽しみながら走りました。途中で滝が流れ込み美しい水と景観に、みんなは再度訪れたいと喜んでいただきました。
その後、道の駅木の香で全員の集合点呼を行い、いよいよ寒風山トンネル標高1200mから一気に伊予西条までの20㎞のダウンヒルです。いっきに40分くらいで走り切り、国道11号線で塩谷氏はしまなみ海道方面へ、キム氏は再度山に向かい、別れました。残り8名は伊予西条駅に行き、大畑・清水。カズ爺はJRで輪行帰還。馬場・中西・田島・出口は車で帰還しました。
それにして全員無事で楽しんでいただいたことに感謝します。
カズ爺の体調が悪いことにご心配を掛けたことまことに申し訳ない。次回はもっとすごいところを用意しますから、期待してね。
追伸:その後カズ爺は5月26日現在元気は回復しております。26日に一人でひそかに暗峠 の攻略を完成しました。
次のレポートは暗峠を書きます。また清水氏も26日から東海道一人旅を開始しました。
5月4日 朝とともに温泉につかり、朝食を頂き8:30に出発集合です。
昨晩キャンプをした中西・キム氏も駐車場に集合しました。全員で集合写真を撮りました。
後列左から世界2周男中西・稲地・大畑・キム・清水・田島・出口・藤田・塩谷・馬場、車いすの後藤そして写真撮影のカズ爺の全12名で出発です。
今日のコースは前半20㎞は祖谷川を下り、その後15㎞は酷道439の京柱峠まで約800mの登坂です。大したコースではありませんが、その狭さとぬ人地帯の深い森の中を彷徨う峠道です。景色や雰囲気を楽しみます。
カズ爺は依然喘息発作が治まらず、上りの区間は車に乗り写真撮影にいそしみました。
田島さんも上りを楽しそうに走ります。
その間も世界2周男は、タラの芽を探しながら自転車を降りて谷底へ狩猟民にょうな形相で山菜取りに余念がありません。撮ってきたタラの芽はキムさんの自転車のザックの中に詰め込んで、今夜のオカズ鳥をしています。
塩谷さんも余裕の顔で通過。
キムさん馬場さん出口さんも頑張っています。
後の人も全員京柱峠の頂上に予定時間内に到着。峠の茶屋で猪肉うどんを食とおにぎりを食べました。
その後、京柱峠から下る途中に大畑氏のタイヤがパンク自ら修理して事なきを得ました。
土讃線の豊永駅で、藤田さんがJRで帰路につき、又、稲地さんも32号線を北上し大歩危から池田町に出て帰路につきました。
藤田さんは今年は膝を痛めていたことから、伴走車運転に徹してもらいましたが、来年は膝を治して走ると宣言をしていました。
残りの10名は今夜の宿大豊町にある「緑の時計台:学校に泊まろう」へ向かい、大豊インター横のスーパーマーケットで食材を仕入れて緑の時計台でBBQパーティーです。
ワイワイガヤガヤ楽しく食事をしました。
施設の経営者の校長先生と用務員さん達も加わり夜が更けます。
カズ爺は早めに布団に入り寝ていましたが、学校行事の雑巾掛けレースの用務員の声がひびきわたる布団の中で喘鳴を響かせておりました。
5月3日6:30徳島のワシントンプラザホテルを出発。
熟睡できずに呼吸が困難。吉野川沿いを約50㎞で貞光には行けるのです。
また、道は高低差もなく快適なサイクリングのはずですが、平均速度を上げることが困難です。
途中のコンビニで朝食をとり、塩谷さんと走ります。
塩谷さん曰く、カズ爺が体調不良がちょどよいペースだと上機嫌である。
8:30頃に吉野川町で 小休止。
吉野川のゆったりとした流れにいやされます。
9:30頃に貞光駅に到着。すでに今朝大阪を出発した出口、後藤、中西、馬場、田島氏等は貞光駅前に到着しておりました。
また、昨日神戸から出たキムさんも現地付近でキャンプをしていたそうで到着されていました。
中西氏とキム氏はケーナの民族楽器を吹き鳴らし、朝からテンションが高いこと。
それにしても、貞光の近所の住民は大人しいのか?誰も文句は言いません。大阪なら「ジャカマシイ朝からピーピー音立てるな!」とわめかれると思います。
10;08最後の清水さんが列車で到着。10:30出発の集合写真を撮りました。
その後、二重梲のある家並みを抜け、貞光川沿いの渓谷をさかのぼります。
徳島県の脇町やこの貞光町は江戸期から藍染で裕福な商家が多く存在し、家屋の防火設備として梲を設けたそうで、商売が下手で梲を建設できない人のことを「梲の上がらない奴」というようになったとのことです。
その後、出発から15㎞地点の岩戸温泉近くの町役場支所前で12時過ぎとなり、昼食を取った。徐々に上りの勾配がきつくなり、カズ爺は呼吸困難で足が回らない。全体の3分の2ほど登ったところで、タイムリミット伴走車に拾われました。
走行中の写真は余りにも厳しい登りで、誰も撮影できず、記録に残せないのが少し残念である。しかし、さすがに、中西・キム・田島・出口・塩谷・大畑は時間内に見ノ越までの登りを終えることができた。この登坂量1,420mと距離20㎞は、日本でも有数の峠道である。
特筆賞賛に値するのは、初心者の田島氏と高齢である大畑氏である。彼らの凄さは世界的にも高名な世界2周男「中西」を抜き去る走りができた、脱帽ものである。又、上り坂に弱点があった塩谷氏が好成績で登りきれた事も素晴らしい、見ノ越の茶屋でしばし休憩、思い思いに祖谷そばを食べたり補給をしました。また、雨に打たれたことから、ストーブに当たり暖をとりました。
見ノ越で道は酷道438号線から439へと分岐します。ここからしばらくは下り基調で
途中に二重かずら橋・案山子村と見どころがありますが、体力的に観光気分ではありません。
案山子村風景
この案山子たちは、かつてこの村に居住していた人々のモニュメントと聞く。あまりにもリアルな姿に少し不気味な思いがした。
その後、4:30いやしの温泉郷三嶺に到着11名は温泉に宿泊し、中西氏とキム氏は山でキャンプとなりました。
温泉の泉質は単純泉のようでサラサラと気持ちの良い泉質でした。
食事は素晴らしくおいしい懐石料理で食べきれないほど堪能しました。
宿泊の部屋は古民家の大広間、囲炉裏があり また訪れタイと思う宿です。
カズ爺は食後ただちに布団にくるまり喘息に耐えるのみでした。
久しぶりの投稿です。
5月の連休に銀輪亭とJACCが主催する春のツーリングに出かけました。
今年のテーマ「四国内陸部の酷道を行く」でしたが、それは過酷な地獄道を12名で出かけました。
今回はプロローグ5月2日、集合地点の徳島県剣町貞光に向かうために、私一人で和歌山経由徳島までの
奮戦記から紹介します。
実は私にとって、このサイクリングで致命的な失敗をしたレポートとなります。
5月2日何時ものように早朝会社に向かい、午前中伊丹本社で仕事をしました。
午後4:30和歌山港発の徳島行きフェリーに乗るために、11:30頃に事務所を出て、近くの
ローソンで水を買い出発です。
この時は、5時間あれば余裕のヨッチャンで和歌山まで95㎞走れると高をくくっていました。
武庫川左岸の堤を尼崎方向に南下、171・山手幹線・阪急・JRを超えて国道2号線を左折し、阪神出屋敷あたりで、さらに右折R43を大阪方面へ向かいます。中島付近で淀川を渡り、そのまま進むと大川で43号線側道がなくなります。自動車専用道路となり、自転車ではすすめません。
仕方なく源八渡しは地下道へ、また次は自転車を降りて階段で43号線路面下の仮設歩道のようなところを上り下り、いい加減時間がかかりました。やっとの思いで津守北交差点で新なにわ筋を南下して住吉あたりここですでに1:00頃となります。まだ4:30には大丈夫と変な自信。
このあたりでひる昼食にラーメンを食べに入りました。
この店の売りとしている肉そばをおいしく頂きました。その後浜寺あたりで、2:30、少し焦りだしました。
「残り2時間で和泉・泉佐野 ・岸和田・・・・岬町そして和歌山むちちゃうか?」
ここら当たりで危機感を抱き、国道26号線を必死のパッチ追い込みにかかりました。
その後汗と鼻水でグシャグシャニなりながら走る走る、ほとんど自動車と同じ速度で、時には原付を追い抜いて車を追い越し、
鳥取海岸あたりで3:25分。岬町で3:40、このあたりでは無理・・・と叫びながら最後の孝子峠で4;00
臨空ゲートタワー3:15
熊取海岸付近3:25分
中孝子15:50
県境の孝子峠を越えたのが16:00ほとんど時速30㎞以上で峠を駆け上り
残り時間30分、半分以上無理ムリーと叫びながら、足だけはあきらめようとしません。
ついに和歌山新港にかかる吉野川大橋を超えるころには、16:20分
フェリーボートが港に見えます。必死のパッチで足を回し、16時28分チケット売り場に倒れこみながらなんとか乗船。
乗客としては最後に乗り込みました。
船室に入ると座る椅子もなく、また汗だくの鼻水を流し、髪の毛の逆立つ爺を全員がいぶかしげに見ます。
子供は私の形相を見て泣き出します。 一人デッキのベンチでですずみながら徳島に向かいます。
和歌山港を出てゆきます。
しばらく行くと右手に淡路島が見えだしたころ、汗も乾きつい「ウトウト」寝てしましました。
これが失敗。徳島高に着くころに目覚めると気管から「ヒュー・ゼー」喘息の発作が。
心の中で「鳴ー終わり」と思ってしましました。
徳島で淡路島経由で入った塩谷氏と合流食事後、さみしくワイントンプラザで喘鳴を吐きながら、一晩中浅い眠りにつきました。